プレファブリケーションと現代建築

 近代建築、あるいはモダニズム建築にも歴史的価値を認めるようになって久しいが、一方で多くの近代建築の名作が近年でも多数取り壊されてきた。これは、近代建築が現代の建築とは最早遠く離れたものであり、またそれとは反対に現代へと地続きのものとも認識されていることを示していると思われる。

 近代建築とは何か、近代から現代への転換はいつなのか、これらの問いは応える人によって様々だろう。しかし筆者は建築構法・生産史的視点に立ち、その境目を1968年頃と推定する。1968年は日本最初の100m超えの超高層ビルである霞が関ビルディングが竣工した年である。より正確を期すならば、その移行の過渡期は1960年代後半から1970年代初頭となろうが、そこには現代建築とは切っても切り離せないプレファブリケーションという技術的側面が関係している。

 プレファブリケーションとは、建物の一部あるいは全体をあらかじめ工場で製造し、建設現場における作業人数・時間を軽減する建設方法である。特に高所での作業を減らすことによる安全性、天候によらない安定した品質、工期短縮が図れることなどのメリットから、最初の本格的超高層ビルである霞が関ビルの建設においてプレファブリケーションが徹底されたことは画期的であった。今日の建築には多かれ少なかれプレファブリケーションが用いられており、現代建築を象徴する技術となっている。

 霞が関ビルは何度かの大規模なリニューアルを行っているが、建設当初からライン方式のシステム天井が用いられているなど、生産的に見れば今日のオフィスビルとの差は小さいため、内装等に保存的な視点が求められなかったことが一つの特徴になっている。その他にも、床スラブの構築にはじめて用いられたデッキプレートや、便所の横引き配管ユニットなど、現代では当たり前になった技術が現れている。1966年に竣工したパレスサイドビルは戦後オフィスビルの名作だが、霞が関ビルと2年しか違わないにも関わらず、躯体やディテールなどには工業化の中にも在来構法の手触りを残しており、それが今日から見ると貴重に思えるという側面もあるだろう。なお、同じ設計者の林昌二(日建設計)による三愛ドリームセンター(1963年)は床スラブにプレキャスト版を用いたリフトアップ工法による建設であり、時代的に極めて先駆的なプレファブ建築と考えられる。

 1960年代中頃までの建築は主に現場生産による労働集約型でつくられていた。例えば、1958年に竣工した東京タワーの建設においては鳶職、鍛冶屋などの職人が活躍した。部材の接合には、今日のような高力ボルトがまだなく、リベット(鉄鋲)を熱して端部をハンマーで叩き潰すことで接合した。上層部で熱したリベットを火挟みで掴んで放り投げ、メガホンのような形の容器で受け取り接合するという離れ業で工事は行われていた。

 しかしその後のプレファブリケーションの進展と共に、建築はあらかじめ工場生産された部品を現場で組み立てる方法に転換した。例えばカーテンウォールは日本ではアルミとプレキャストコンクリートを併用した前川國男による日本相互銀行本店(1952年)を初めとして、工場でパネル化などを行い現場では取付けのみであることから1960年代になるとホテルニューオータニ(1964年)や霞が関ビル(1968年)といった超高層ビルに採用され、急速に技術開発が進んだ。


参考文献

1. 内田賞選定委員会「内田賞顕彰事績集 日本の建築を変えた八つの構法」,内田賞委員会事務局,2002年

2. 内田祥哉「ディテールで語る建築」、彰国社、2018年

3. 門脇耕三、青柳憲昌ほか「ディテール 217 戦後名住宅の新しい見方」、彰国社、2018年7月号

4. 佐藤考一ほか「図表でわかる 建築生産レファレンス」、彰国社、2017年


(本記事は、2022年度日本建築学会大会(北海道)建築計画部門PD資料「構法史のアクチュアリティー構法と歴史から、いまつくることを考える」論考集掲載の拙稿「構法史からみた近代と現代」をもとにしています)

KUMAGAI LAB

東京理科大学工学部建築学科 熊谷研究室