打ち放し仕上げにおける合板型枠への変化

 この時期にはいくつかの現代につながる技術的転換が同時に起きていることも分水嶺とみる根拠である。たとえば鉄筋コンクリート造における打ち放し仕上げは、現代でも安藤忠雄による合板せき板の精緻な表情を典型として当たり前になっているが、合板せき板登場以前は杉板のせき板が用いられており、丹下健三、前川国男ほか多くの建築家によってブルータルな表現として定着していた。その後、1966年に「建築技術」誌にて合板型枠工法が特集され、1967年には枠用合板のJASが制定されるなどをふまえて合板せき板は普及していく。

 最初期に合板型枠の打ち放し仕上げに取り組んだ建築家としては鈴木恂があげられ、KAH(1966年)などがある。1960年代後半の建築は過渡期にあたり、未調査のため写真や建物見学時からの推定ではあるが、都城市民会館(1966年、現存せず)や金沢工業大学本館(1968年)などでは、杉板と合板の併用が見られるようである。

 これらの建築の設計者である菊竹清訓や大谷幸夫など、移行期に活躍した主要な建築家の作品における合板型枠の受容と表現について調査することも興味深いテーマである。例えば前川國男は、戦後の打ち放し表現から60年代以降打ち込みタイルへと表現が変化しているが、合板型枠への移行前の1960年代までで打ち放しをやめたのではという仮説も考えられる。一方で、安藤忠雄の処女作(冨島邸、1973年)は合板の打ち放し仕上げであるので、安藤は合板型枠への移行以後の世代と考えられる。なお今日、あえて杉板型枠を用いる場合はむしろ高級な仕上げとして扱われている。

参考文献

1. 内田賞選定委員会「内田賞顕彰事績集 日本の建築を変えた八つの構法」,内田賞委員会事務局,2002年

2. 内田祥哉「ディテールで語る建築」、彰国社、2018年

3. 門脇耕三、青柳憲昌ほか「ディテール 217 戦後名住宅の新しい見方」、彰国社、2018年7月号

4. 佐藤考一ほか「図表でわかる 建築生産レファレンス」、彰国社、2017年

(本記事は、2022年度日本建築学会大会(北海道)建築計画部門PD資料「構法史のアクチュアリティー構法と歴史から、いまつくることを考える」論考集掲載の拙稿「構法史からみた近代と現代」をもとにしています)