「仕事」のテイギ

新型コロナウィルスで在宅ワークとなった2020年春、娘の保育園も休園となり、私は仕事と子育てのやりくりに少々苦労していました。そんなとき、以前に何かの本で読んだのか「仕事とは他者への貢献(サービス)」という言葉がふと浮かんできて、子育ても子供への貢献、すなわち仕事なのだと理解して少し楽になりました。通常の仕事には給料などの対価がありますが、この場合は娘が懐いてくれることや順調に育ってくれることが対価なのかもしれません。

 このような経緯から仕事の定義にしばらく関心を持ち、ゼミの息抜きとして学生とも仕事とは何か?というテーマで議論をしました。ある学生は働くことで金銭を得ることだと思うが、家事はどうなるのだろうと言いました。就職活動中の学生は、自分にとって仕事とは何か?という視点で答えました。理科大らしく仕事は「力×距離」ですと言った学生もいました。

「仕事=他者への貢献」と考えるとボランティアも仕事になりますし、自己の満足や他者からの感謝といった精神的対価も得られます。コロナ禍で多額の寄付を行った有名人に対して売名ではないかといった非難がありましたが、それは的外れになります。彼らは通常とは逆にお金を使うことによって貢献し、対価として感謝や名誉を得る仕事をしたと考えられるからです。また他者への貢献は社会貢献とは限らないので、例え話として、社会的に良くない組織でボスのために貢献することも仕事になりますね、というと学生から、では仕事にはベクトル(方向)が重要なのではないですか?という意見もありました。

 自分のために朝ごはんをつくるのは仕事ではなく生活ですが、一緒に家族の分まで用意したらそれはサービスであり、家事も仕事になります。芸術のように、自分の好きなことを追求した結果として貢献になることもあります。研究はその成果が貢献であることから仕事ですが、自分のために行う勉強は、将来、それを活かして仕事をするための準備であるように思います。あまり勉強はしなくても他人をよく笑わせているムードメーカーの学生は、ある意味でサービスしているのかもしれませんが(笑)。

 仕事の評価は誰がするのでしょうか。サービスを享受した人からの対価によってかもしれませんし、最終的にはそれも含めて自分なのかもしれません。他人からお願いされたことを仕事だからとひたすら行う人生は楽しくなさそうですので、どのような貢献をするかを自分で選べることが大事だと思えます。自分ができること、したいことで誰かにサービスすること、そしてそれを自分で評価すれば、誰かと自分を比べて悩むのではなく、よりシンプルに考えられそうな気もしてきます。

 この文章が、これを読まれたどなたかへの何らかの貢献としての「仕事」となりましたら嬉しく思います。

(本記事は、東京理科大学「科学フォーラム」2021年2月号掲載の拙稿をもとにしています)

KUMAGAI LAB

東京理科大学工学部建築学科 熊谷研究室